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外国文学

ハンティングタワー

作者 / ジョンバカン
訳 / リツ・ティーベン
サイズ:四六判
製本:ソフトカバー
ページ数:240ページ
発行日:2010年2月12日
価格:1,500円(+消費税)
ISBN:978-4-903935-30-0
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内容紹介(一部)2
プロローグ

まるでツバメが舞い込んで来たようだった。

その娘はやはり鳥のような素早さであたりを見回し、青年の姿を見つけるとまっすぐ彼に駆け寄って行った。

磨き上げられた床に置かれたソファーに、その青年は片足を不自由そうに伸ばして座っていた。

「この曲はあなたと踊りたかったのよ、ク・ウェン・ティン」と、娘は青年の名前を歌うように区切りながら、話しかけた。

「ひとりぼっちで座ってるなんてつまらないでしょ?だからふたりでおしゃべりでもしようと思ってきたのよ。ね、何のお話しましょうか」

青年はすぐには返事ができずにいた。彼の目は彼女の顔に釘付けになっていた。

これが昔パリで一緒に遊んだあの子なのか?あの頃は顔立ちだって平凡で、背ばかり高い、気難しい子だったじゃないか!

それが今目の前にいるのは素晴らしいスタイルと美しい肌、豊かな髪、そして挑戦的なまでに魅力的な目をした女性だった。

美しさそのものだ。いや、奇跡といってもいい!これ以上の嬉しい驚きなんてありはしないだろう。

その娘の透き通るような美しさと、身にまとっているほのかな炎のように輝くドレスが、まるで彼女を氷と炎の化身のように見せていた。

「君の話をきかせてくれないか、サスキーア」

彼は言った。

「すっかり大人になったんだね。毎日楽しいかい?」

「ええ、とっても!」

娘の声は音楽のように弾んではいたが、昔と違ってどこか他人行儀でもあった。

「毎日があっという間なの。眠る時間さえ惜しいくらいよ。皆はあたしの社交界へのデビューが戦争と重なるのを残念がってくれるけど、あたしはそれほど悲観してないの。だって、ロシア、あたしの国にとっては勝利の戦いなんだし、それに聞いてちょだい、クウェンティン!あたし、アレキサンダー病院で看護のお手伝いができるのよ、それも明日から!ねえ、どう思って?素敵でしょ!?」


1916年1月、華麗なニルスキー宮殿の一室。

そこには雪の降る外の寒さはもちろん、戦争の気配すら感じられなかった。

それでも、かつてプリンス・ペーター・ニルスキーの秘宝中の秘宝で埋め尽くされていたという部屋は、今はカーテンのドレープもソファーを覆っていたカバーもなく、剥き出しのソファーがひとつ、ふたつと、いくつかの立派な敷物が杉の床の上に置かれているだけだった。

壁は孔雀石のようにグリーンの石目のある大理石、天井はそれよりやや暗めの大理石で、白の陰刻がちりばめられていた。

そこかしこに置かれたテーブルや戸棚には、青磁の陶器や翡翠の彫刻、象牙、揺らめき輝くペルシアやロードス島の花瓶が飾られていたが、どこにももう金属や金メッキ、光り輝くようなものは見当たらなかった。

部屋はグリーンの雪花石膏の香炉に灯された明かりで、冷たく深い海の底の洞窟のようにゆらめいて見えた。

部屋の中は静かで暖かく、かぐわしい香りがし、柱で飾られた回廊の方からは、人々の話し声がダンスの音楽にのって聞こえてきた。

回廊に出れば、その向こうにある大広間の、眩いばかりの明かりの輝きが見えることだろう。

青年は細面で、口や目の周りには苦しげな表情が浮かび、部屋の暖かさで火照った顔が、彼の印象をいっそう繊細なものにしていた。

青年はこの場所に少し息苦しさを感じていた。肉体的にも、気持ちの上でも、まるでサウナに入っているような気がした。

ニルスキー宮殿での舞踏会の夜は、いつもこんなふうだというのはよくわかっていたが、つい1週間前まで彼はボルへイニアン前線の小屋で、その小屋の持ち主と一緒に黒パンをかじっていたのだ。

「サスキーア、君はほんとに見違えるようにきれいになったね」と、彼は言った。

「こどもの頃のほめ言葉なんて、もう今の君には似合わないし、だいいち聞き飽きてるだろ?おとぎ話のお姫様みたいに君にはずっと幸せでいてほしいよ。といっても、僕みたいな役立たずじゃたいしたこともしてあげられないけどね。今だってほら、僕が君に尽くすどころか、君の方が僕のために話し相手になったりして、時間を無駄にしてるじゃないか」

「そんなこと言わないで、クウェンティン。足はどう?ひどく悪いの?」

彼女は自分の手を青年の手の上に重ねた。

彼は笑って、

「いや、大丈夫、良くなってきてるよ。もう1ヶ月もすれば杖なしで歩き回れるようになるよ。そしたら、新しいダンスのステップを全部教えてくれるね?」


軽やかに、飛び跳ねるようなツー・ステップ・ダンスの曲が、回廊の方から流れてきた。

それを聞くと、青年は11月の暗闇の中で死んでいった仲間達の顔を思い出し、重く苦しい気持ちになった。


彼の目の前で、スコットランドのホーレべキィの底なし沼に足をとられ死んでいった友達が、よくこの曲を口笛で吹いていたのだ。

彼にとってこの曲は死者を思い出させるものでしかなかった。いや、そのメロディーだけではなかった。

今日はこの部屋も宮殿もダンスも、ロシアのすべてが彼に死を連想させた。ここ何日か、彼はこの美しい世界が暗い緞帳で覆われてしまうような、嫌な予感に悩まされ続けていた。

大使館で他の人間にこの話をしても、誰もが「考えすぎだ、そんなことはない」というのだが、彼はどうしてもその思いを吹っ切ることができずにいた。

娘は突然彼が物思いにふけり始めたのに気がつくと、

「ね、何考えてるの?」

こども時代から彼女はよく青年にそう尋ねたものだった。今でもそれは彼女のお気に入りの質問なのだ。

「君はパリにいた方が良かったんじゃないかって、そう思ったのさ」

「でも、どうして?」

「パリの方が安全な気がするんだよ」

「まあ、クウェンティンったら!そんな馬鹿なこと言って!自分の国が安全じゃなくて、どこが安全だっていうの?友達だってたくさんいるし、それに、そう、一族の人間も数え切れないほどいるわ。危ないとしたらフランスやイギリスの方よ。銃を持ったドイツ人達が、もうそこまで来てるんですもの。あたしの不満といったら、それこそ、人生が安全過ぎるってことよ。真綿にくるまれて、厳重に守られていて、安全すぎるほど安全。ちっとも安全でいたいなんて思わないのに!」

青年はテーブルの上から、肘のすぐそばにあった重い宝石箱を持ち上げた。

インペリアル・ジェイドと呼ばれる最高級の翡翠でできた宝石箱で、蓋には素晴らしい彫り物がほどこされていた。

彼は蓋をとると、中から象牙でできた3つの小さな像を取り出した。ひげを生やした僧侶、小さな兵隊、そして鋤を引かせる牛。

その3つを三角形の形に並べると、その上に宝石箱を何とかバランスよく乗せ、

「見てごらん、サスキーア。君はこの箱の中にいるようなものなんだよ。壁も石も頑丈で、何の心配もないように思えるから、美しい緑のたそがれの中で夢うつつにまどろんでいられる。でも、君のその平和な日々は、実はこんな危なっかしいものに支えられているんだよ」

娘は首を横に振った。

「違うわ。そうじゃないわ。あなたにはわからないのね。あたしたちロシア人は大昔から何代も何代もかけて、地面の奥深くまでしっかり根を張って生きてきてるってことが」

「ああ、そうだね。きっと君の言うことの方が正しいのかもしれないね」

彼は言った。

「でもね、サスキーア、君に尽くすことは僕の義務で、僕の喜びだってことはわかってくれてるよね。今は、イソップのねずみとライオンの、ねずみの約束みたいなことしか言えないけどさ、ねずみは最後にはちゃんとライオンを助けただろ?僕もそうさ。だから困ったことがおきたら、必ず僕を頼りにしてくれよ。約束してくれるね」

「♪スペインの王様の娘がやって来た」

娘は楽しそうに口ずさんだ。

「♪私の小さなハシバミの木が欲しくてやってきた」

娘の笑い声にもうひとりの笑い声が重なった。

プレオブラジェンスキー・ガーズの制服を着た若者が、彼女をダンスに誘いにきたのだ。

「ハシバミの木だって嵐の時にはシェルターくらいにはなるさ」と、その若者は言った。

「ええ、約束するわ。もちろんよ、クウェンティン」と、娘は言った。

「オールボワール。近いうちにお食事にお誘いするわ。ゆっくりハシバミの木のお話をしましょう。ハシバミの木の話だけをね」


青年はふたりが部屋から出て行くのを見ていた。

娘のドレスは暗いアーチの下の通路で、炎のように鮮やかだった。

それから彼はしばらくダンスでも見ていようと、ゆっくりソファーから立ち上がった。

と、その時、彼の脇で何かがテーブルから落ちるのがわかった。あの翡翠の宝石箱だった。

すんでのところで宝石箱は受け止めたが、3つの像のうち2つは箱から滑り落ち壊れてしまった。

彼は宝石箱と残った像をテーブルにもどすと、しばらくその場所にたたずんでいた。

「僧侶と兵隊はいなくなり、鋤をひく牛だけが残った。もし僕が迷信深かったら、これは間違いなく悪い知らせだと思うだろうな」