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書籍

日出づる国・日本へ (上)
大東亜戦争聖戦論

著者/小澤政治
サイズ:B5判
製本:ソフトカバー
ページ数:230ページ(モノクロ)
発行日:2009年7月13日
価格:1,429円(+消費税)
ISBN:978-4-903935-17-1
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みんな自分の生まれた国・日本は好きだ!
ではあなたは、「愛国心」を持っているか、と問われたら・・・

はじめに 戦争の時代に生まれ合わせた父祖たちを想う

我れ 男の子、意気の子、名の子、剣の子、
恋の子、詩の子、ああもだえの子     与謝野鉄幹


私たちは人としてこの世に生を受ける時、その時(時代)、場所(郷土、国など)は言うまでもなく、家族、友人、同窓の人々といったものさえ自ら選ぶことはできない。そしてその生きがいも人生の使命もその時代によって決められていく。この浮世ではそれを宿命という。


現代日本人は何を生きがいとしているのか

平成も20年を越えた今日、我が日本は人類歴史上稀にみる高齢・少子化の時代を迎えている。高齢者たちはいかにして健康で長生きしようかと懸命である。若者や壮年者という社会を支える者たちはどうしたらよい(お金持ちになるか)人生を持てるのか、また生きがいや充実した人生にすることができるのかを模索している。また中には雑然たる都会を離れて地方(田舎)で本当の自分の人生を大事にしたいという人々もいる・・・。現代日本人のほとんどは自分(個人)の人生をどうするかでアタマがいっぱいのようだ。

思えば戦後の日本人はわずか60数年前の大東亜戦争に負けた悔しさを、いや何よりも当の敵国であったアメリカの豊かさに目を見張り、そのアメリカを追いかけた。それはやがて結果において経済大国として実を結ぶことになった。ともあれ皆懸命に働いた。同時にこの戦後のアメリカの占領時代に私たちに押し付けられた平和憲法(日本国憲法)と教育基本法(旧)で仕切られた社会で生きた国民はいつとはなしに、家族への、親・兄弟姉妹、友人、隣人たちへの思い遣りや男なら武士道の心を、女なら大和なでしこの落ち着きなどを薄められてきた。

それはまた我々日本人の中に自国日本を想う人、愛する人が少なくなって来たことと歩を同じくしている。アメリカに自らの国策の最大最重要事であるべく安全・防衛すらカネで委ねるという政策のもとに、ロシア、中国、韓国などに領土を取られようとしても、北朝鮮に同胞が多数拉致されるという国家侵害を受けてもそう強くオコラナない国民になってしまった。今日の日本人の、国民・庶民の生きがい、また国としての目標、いや気概といったものさえ迷走しているようだ。まして愛国心、民族の誇りはどこにいったのだろうか。

多くの人々の意識の中に、かつて我らの先人・父祖たちが命を賭けてこの国を守ろうとしたことさえ忘却されつつあるのだろうか・・・あるいは日本民族にとって最後であったあの戦争を外国から、またマスコミから、政治家たちからTVで、新聞で不断なく悪く言われているために自らの国、日本に自信が、誇りが持てなくなってしまったのだろうか・・・。


戦争という時代の生きがいとは

そうなのだ、思ってもみよう! 大正時代半ば(1920年前後)から、昭和の激動の時代に生まれ合わせた、また生きた私たちの先人、父祖たちはどのような“生きがい”を持っていたのだろうか。またその“死にがい”とは何であったのだろうか。今日の平和と繁栄の中に生きる私たち現代人とはおよそかけ離れたものであったであろうことは確かなようだ。さらに問えば、何もかも恵まれているように思える私たち現代人は自分という、“私という存在を超えた生きがい”を持っているのだろうか。まして“死にがいを”・・・いや死にがいなどとは考えることさえない人々が多いのではなかろうか。

欧米列強の世界植民地支配の手がアジアへと、そして我が国にも伸びてきた。我らの先人たちは幕末に必死の思いで生きた。民族の独立を賭けた先人たちは、もがき、苦しみ、しかし笑って青春を送った。明治とデモクラシーと言われた大正の時代は過ぎていった。そして駆け巡るように足早に昭和に入った。時代はさらに我が先人たちに厳しかった。締め付けられるように迫ってくる欧米諸国の我が日本への敵視、ソ連のコミンテルン指令による支那大陸の撹乱と日本への共産思想の波及、混乱極まる朝鮮半島の併合とまさに目も眩むような時代を迎えた昭和の先人・父祖たちであった。

我らの先人たちも、この世に生を受けたからには日本人として、人として名を為し、男としての生きがいを求めていたであろう。女たちは家庭の平穏を望んでいたであろう。絶望的とも言えるような世界の我が国への挑戦に、知らず身震いをした人々もいよう。そして大東亜戦争の開戦勅語に奮い立ち、故郷のため、家族のため、そして名残り尽きない郷土と祖国を守るため、若い恋も詩(学問)も、いやなによりもその未だ夢途上の人生さえ国に捧げ、アジア、太平洋の幾多の戦場に散っていった人々がいたのである。追い詰められたがゆえの大本営(戦争作戦本部)の戦略上の過誤に泣き、怒った人、飢えと病に力尽き、無念の涙をぬぐった将兵たちもいた。それらは先人たちにとっても自分たちの人生のあまりの過酷な運命に、時代の宿命に立ち竦む思いでもあったろう。しかしなお果敢に戦い、生き抜いた大東亜戦争の日々の先人たち―将兵も、銃後(いわゆる戦争に直接行かない人々で、故郷や家で戦っていた人々のことを言う)の人々の女、子供たちやこの時代の日本を必死で主導した政治家や旧日本軍陸・海軍幹部がいた。将兵がいた。これら我ら先人たちが青春を、人生をひたすら国に捧げていったその尊い犠牲の上に私たち現代人は今生きているのである。今日の日本があると言えよう。このことを私たちは断じて忘れてはなるまい!


これら先人たちへ十分の礼を尽くしているか

人生の全てを燃やし尽くし、悩み、泣き、しかし、自分たちの生まれ合わせた激動の時代に剣を握り、そして戦場に、また銃後に懸命に生きた方々に私たちは十分の「礼」を尽くしているだろうか。いやそれどころか、今日の多くの若者たちには、我ら父祖たちの、明治から大正、昭和にかけての激動の日々のその過酷さが十分に伝わっていないのではないだろうか。若者ばかりか、多くの成年・中高年の人々にとってもその真実は今や忘れ去られようとしているようだ。


戦争には勝者もあれば敗者もある

言うまでもなく戦争とは、私たち人類がいかにしても、叡智を傾けてそのギリギリまで避けるべきものである。しかしそれでも戦争は起きてきた。古代は隣同士の部族で争った。我が国でも平和な江戸時代の前には同じ日の本の人々が戦国時代という激しい日々をおくっていた。宇宙時代と言われる近現代でさえ、世界では国と国との武力紛争が絶えない。本来国と国とは、その利害を外交でその解決を目指すべきものである。だが時としてその利害はお互いの面目となり、政治外交の延長として私たち人類には戦争というものが起きるのである。絶対にしてはいけない、避けるべきであることはお互い十分理解していよう。だが悲しいかな、今日でも戦争は起こる。そこには勝者もありまた敗者も存在するのである。


日本のどこが好きか

私たちは人から、「あなたは何人ですか」と聞かれたら、まず100人中、100人は「日本人」と答えるだろう。よほどの無政府主義者や、極左の思想を持つ人でも日本人であるということを否定する人はないだろう(と私は思うのだが・・・)。しかし、「では日本人としてどこが、あるいは何が好きか。また日本人であることに誇りが持てますか」と問われると、ハタと返事に窮する方々もあり、またその答えはいろいろと違ってくるのではないだろうか。そして筆者は、この問いをこの10数年間考え続けてきた。そして今では自信を持って、「私たちの先人たちが大東亜戦争を戦ったことを、戦い切ったことに最大の誇りを持ち、それゆえに日本が大好きだ」と答えることができる。しかし私とは反対に、多くの人々がどこか罪悪感を持っていると思われるかの大東亜戦争とは、どのような戦争であったのだろうか。


大東亜戦争の真実とは

今日の日本人、特に若い人々にほとんど伝えられていない、そして多くの中高年以上の人々にもいつか忘れられてしまったかもしれない歴史がある。それは昭和16年12月から数ケ月における大東亜戦争緒戦に見せた、我ら父祖たちのすさまじい勝利の連続があったことである。昭和16年12月、アメリカ太平洋艦隊への真珠湾攻撃で火蓋を切った大東亜戦争で、満を持していた我が日本陸・海軍が、アジア諸国の英米軍、そしてオランダ軍を攻撃、次々と落としていったのである。英国海軍の難攻不落と言われたシンガポール、アメリカ軍の極東軍最重要基地であったフィリッピンの各駐留軍、オランダ350年のアジア支配の拠点インドネシアなどを開戦後わずか1〜数ケ月で陥落、降伏させていったことは世界の戦争史に燦然と輝く戦果であった。欧米列強・白人国家による、永遠に続くかと思われていたほどに長い植民地支配に苦しめられていたアジアの人々は目を見張った。日露戦争に続いて、またも日本人が西洋白人を打ち砕いたのである。虐げられていたアジア各地ですでに心ある人々に深く潜行していたであろう“独立の灯”にこの日本軍緒戦の勝利が再び勇気と力を与えたのである。

そしてこの緒戦のスゴカッタ戦いとは裏腹に戦後不当に強調されているのが、中〜終盤における、我ら先人たちの敗戦の“惨めさ”である。確かにこの戦争での戦線のあまりの拡がりに多くの戦略ミス、作戦の失敗はあったであろう。これほどの戦争、いや人間の命を、そして国家の誇りを賭けたお互いの戦争であれば過誤の一つもないということはあり得ないであろう。だがそれでも負けた日本軍であるが、オトナシクは負けなかったのである。空から、また海上での特攻、地上での斬り込みという肉弾戦、“降伏を知らない”我が日本軍究極の最後の戦いである玉砕など部隊全滅、民間人の“自決”まであったこれら戦場などに見られた、“死してなおその魂を故国の空に永遠に生かそうとする”我ら日本民族独特の死生観ならではの名誉と誇りを賭けて戦ったのがこの大東亜戦争であったのである。このことは断じて恥ではない。誇り得る歴史である。真実である!〔・・・〕