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エッセイ

So What!  ボクが見つけた神様の贈りもの
Complete Edition

著者/橋本正博
サイズ:四六判
製本:ソフトカバー
ページ数:280ページ
(カラー+モノクロ)
発行日:2008年5月15日
価格:1,600円(+消費税)
ISBN:978-4-903935-09-6
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「 So What ! 」という言葉がよく似合う
著者のすべてがギッシリ詰まっています。
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英国の「ホンモノ」に憧れ、ジャズやオーディオなどの趣味の世界に生きる
「凝り性」の団塊オヤジのエッセイ本。
商社マンであった彼の「海外おもしろ話」やちょっと辛口な「日本批評」もあり、
軽い語り口調で一気に読める!
遊びや趣味を人生の中心に考える人、必読の一冊!

橋本様は他にも書籍を作られています。


エッセイ
So What!


エッセイ
So What's New?


エッセイ
So What's Next?


遺稿集
濱さん作品集


内容紹介(一部)
伊丹十三のエッセイは面白い!

最近になって、40年くらい前に書かれた彼の60年代のエッセイをいくつか読んだ。ボクはかなり遅れている! これらは彼がまだ30代前半であった頃に書いたもの。大変面白かった! 彼はボクと違って音楽に対する素養もあり、食に対する造詣も深く、国際俳優、映画監督としても名を残した。ただ、彼のモノに対するこだわり、ヨーロッパにベースを置いたホンモノ指向、趣味を中心とした人生観や個人主義など、「ボクの思考」とかなり似ていると思った。もちろん、彼はいわゆる「西洋カブレ」などでは全くなく、日本の文化と伝統にも深い見識を持っている。彼の「イラスト」の才能も素晴らしい。「理科系の頭脳」を感じる。才能の他にボクと彼との大きな相違は、彼は猫が好きだが、ボクは犬が好きというところ。彼は、「犬は人間の家来」なので面白くないと言っているが、ボクの場合には逆に「アナベラの家来」にされているので楽しいのかもしれない。

彼は、文章を書く時、漢字の使い方にかなりこだわっている。彼は、もともと漢文と漢字が大好きだったようだ。たとえば、「ひとびと」と書く場合、ボクなら「人々」と書くが、彼は「人人」と書く。また、ウドン、マナイタ、ザルから始まり、ニンニク、ワサビなどフツーは滅多に漢字を使わない言葉も全て漢字を使っている。ボクの場合には、フツー漢字を使う言葉でも、かなりカタカナを使うことが多い。彼のアタマの中にこれらの漢字が全て詰まっていたとするとスゴイことである。それとも大漢和辞典で一々調べたのか? また、外国語の表記にもこだわっている。原音忠実主義である。たとえば、英国車の「ジャガー」は「ジャグア」であり、シックな装いの「シック」は「シィク」という塩梅。シックは病気のことだと言っている。ボクも園芸の「ガーデニング」という表記は、原音からすると絶対「ガードニング」だと思うのだが。

彼のモノや作法に対するこだわりはスゴイ。当時、日本では馴染みのなかった「アル・デンテ」のスパゲティーの茹で方から始まり、二日間かけて作る「黒豆」の正しい煮方、マナイタや包丁の使い方など沢山ある。ハシの理想的な使い方に至っては、いろいろなものを食べても、決して先から2分(6ミリ!)以上「よごしてはいけない」という徹底ぶり! 服装に関するこだわりも然り。「日本人に洋服は似合わない」と断定している・・・「自然とは球体、円柱、円錐として理解されるもの」というのが西洋人の発想であり、洋服も同じ発想から生まれたものであるが、日本人の体つきはどう見ても平面的であり、「着物のように畳めそう」なので似合う訳がない。日本人の顔に至っては「後進国の顔なんだな」と差別的なことも言っている。ボクは現代の日本人には「この説」は必ずしも当てはまらないと思うが、彼は、日本人が多くの「西洋的なもの」を衣食住に取り入れているにもかかわらず、西洋の「ホンモノ」を知らなさ過ぎることに苛立ちを覚えているのだ。勝手に細かいところを工夫したり、余計な小細工をして「ホンモノ」の良さを台無しにしていると。

一方、彼は「オーディオ」をやっているヤツは「電気キチガイ」であると断定する。ただし、彼は「ステレオ」という言葉を使っている。彼らは音に淫した不幸な連中であり、音楽が好きなのに、楽譜も読めず、楽器もいじれない、そういうコンプレックスを再生装置マニアになって解消しようとしている。原音通りの再生なんかありっこないから、これは空しい行為だよと・・・音楽とは耳や鼓膜のために書かれたものではなく、心に向かって書かれたものだから、いくらレコードの音が悪かろうが、想像で補って聴けば「どんなものでも愉しめるなあ」と言っている。しかし、ボクはこの見方には同意しない。オーディオとは「何サイクルの音が聴こえたとか聴こえなかったとか、そんな薄っぺらいものではないんだよ」と言っておきたい。たとえば、オーディオには生演奏よりもっと音楽的に感動を与える音もあるのだから。ちなみに、音の周波数については、今はサイクルではなくヘルツという単位が使われている。また、彼は「車には余りこだわらない」と言いつつ、かなりこだわっている。事実、彼の車はすべて高価な外車。ボクは、「車とは燃費がよく故障もせず快適にドライブが出来れば、それだけでいいんだよ」と取りあえず言い返しておきたい。ただ、「ブリティッシュ・グリーン」のスポーツ・カーはカッコいいなあとは思う。

彼には「日本人を西洋人より一段下に見ている」フシがある。西洋人を真似した日本人のセンスの無さ、カッコ悪さを度々指摘している。たとえば、髪型。西洋人の場合には、髪が左右の耳の穴を結ぶあたりの高さで一直線に終わっているが、日本人の襟足はそれより3〜4センチも長い。だから、西洋人の髪型を真似ようとすると青青と刈り上げることになりカッコ悪い。とても哀れだなあと・・・西洋人の髪は自然に波打ち、縮れながら形のいい頭蓋骨をおおい、首筋のところでは軽く内側に巻き込んで終わっている。近頃の若いもんは女性化してヘア・ドライヤーなんか持って髪をいじくっている。少しは西洋人に近づきつつあるようにも思えるが、あの「なよなよした連中」を見るとどうもヘソが曲がってしまうとも言っている。だから、ブランド品で固めた当時の若者のファッションにも厳しい。ボクには「オーディオ」を除くとブランド指向など一切ないが、彼には「偏ったブランド指向」があったようだ。彼は女性の下着にもウルさく、フランスの「ルー」を推奨している。それに「エルメス」のハンド・バッグと、「ジュールダン」の靴を愛用する女性が彼の理想らしい。

女性についての彼の考え方は「オトコの本音」を言っている。ただ、「オンナと話すときは、うんと程度を落とさねばならないので面倒くさい」などと、今なら「セクハラだ」と言われそうなことも言っている。デイトの別れしなに「とてもいい想い出だったわ」という女に対し何と無神経な女だと憤慨している。これ以上白けたセリフはないと! これはボクも同感である。ボクはそもそも「想い出作り」という言葉がキライである。ついでに言ってしまえば、ボクは「感動をありがとう」という言葉もキライである。また、よく日本代表のスポーツ選手などが試合前に「今日はゲームを楽しみたい」と言うことがあるが、ボクは楽しむ前にまず勝ってもらいたいと思う。勝った後で「今日は楽しみながら走りました!」とQちゃんのように言って欲しい。ちょっと横道に逸れてしまった。

「ねえ、わたしのこと好き?」「愛してる?」「どのくらい?」「世界中のだれよりも?」「ホントに好き?」「わたしのどこが好きなの?」・・・という女は「オトコのことが分かっとらん!」と言っている。デキてしまうと男はすぐ女に飽きる。だから「デキた」途端に距離をなくしてしまうのがいけない。女は適度の距離を作ることに専念すべきであり、少し身を引いて男を常に追い掛けさせるのが義務だと主張している。これはボクもその通りであると思うが、多分、女性からは「そんなのは男の勝手な論理で、男のズルさといい加減さを感じる!」とか言われて一喝されるであろうことはボクもよーく分かっている。彼は「無理に聞かなきゃ言わないようだったら『愛』なんかシボンでしまったのだと思えよ、女たち!」と強気である。しかし、ブツブツ言いながらも「ああ、私は女に飽きたくないなあ」などとホザいているのが可愛い!

彼は「配偶者を求めております」と言って、自分の理想とする女性の条件として23項目も列挙している。最後の条件は「私より二まわり年下の少女」であり、彼が計算してみると彼女はまだ9歳にしかなっていない。これにより、このエッセイは彼が33歳のとき書かれたものであることが分かる。このエッセイが書かれた1966年といえば日本はまだ高度成長期の真っ只中であり、彼は、衣でも食でも「ホンモノ」を消費することの喜びと素晴らしさを表現している。また、当時の日本人がいわゆる「ホンネとタテマエの世界」に生きていたことを考えれば、彼が周囲など気にせず、かなりホンネをストレートに書いているのは、やはりかなりの自信があったのだろう。彼は60年代、外国映画の俳優として活躍しており、世界の有名俳優・女優・映画監督との交友関係もエッセイの中に度々登場する。一般庶民の体験出来ないような世界を書いたりするとどうしても自慢話のようになってしまうが、これは仕方がない。彼のエッセイを読んで、「何とキザでイヤミなことを書くヤツだ」と思った読者も当時多かったと思われるが、ボクは彼のセンスの良さ、カッコ良さに惹かれる。特に、女性には彼に憧れた人も多かったのではないか。身長は183センチもあったらしい。

彼は「天才」だと思う。だから、若いうちに自分のやりたいこと、好きなことを全て極めてしまったのかもしれない。彼が映画監督として活躍中、64歳で「突然の死」を選んだ本当の理由は凡人であるボクには分からない。興味を持てるものが無くなってしまったのか、それとも人間であることに疲れてしまったのか・・・