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詩集

コラムのように詩を書いて

作者 / 青条美羽
サイズ:A6判
製本:ソフトカバー
ページ数:160ページ(モノクロ)
発行日:2007年12月12日
序 詩とはどういう芸術か

言語というツールを用いてコミュニケーションを図るのが人間という動物であり、いかなる言語の構造・文法も、他者との間の意思疎通を円滑にするべく、長い人類の歴史の中で形成されている。そしてその構造はまた現在においても、世界や周辺環境の変化に対応すべく進化と変容を続けている。なぜならば、それは言うまでもなく、人類社会における言語の最大の役割であるからだ。そのような言語の役割は、人間間のコミュニケーションシステムが本当に革命的に変化しない限り(例えば、全人類がテレパシーを習得するとか、脳波間をダイレクトに接続する機器が現在の携帯電話以上に普及をみせるとかいうSFじみた事態)、これからも続いていくだろう。
 しかしながら、コミュニケーションの道具としての役割だけが、言語に備わっている性質ではない。ある言葉、ある文章、あるセンテンス、あるフレーズそのものに、美的な価値が存在しているとある人が認めたならば、それは最も広い意味において詩と呼びうるものになるのだろう。
 ではあるが、ここに問題が発生する。第一に美というのはその根本において個々人の主観に依存する概念であって、人によって何を美しいと感じるかはそれぞれ異なるということである。第二には、にもかかわらず、詩を書くこと自体には、何の特別な訓練も修行も必要がないということである。
 画家になるにはデッサンの訓練とか、さまざまな画材の性質とその的確な使用に関する技法とか、抽象と具象の違いとかいった諸々のことを学習するだろう。建築家なら当然、設計図の書き方や各種建築資材の性質について学ぶだろう。彫刻家だって同じく、木なら木で、石なら石で、その材質の最も効果的な魅せ方を心得てるだろう。
 そのようなディシプリンが最も厳格かつ普遍的に確立しているのはおそらく音楽というジャンルであって、クラシックであろうとロックであろうと記譜法は統一されており、すなわち楽譜の読み方も全く同じである。近世ヨーロッパにおいて確立したこのフォーマットは今では遍く全世界に普及し、それに従わない音楽家はごく希少な存在となっている。またもちろん、楽器演奏者はそれぞれの楽器を弾きこなすべく日々修練を怠らない。
 以上のような努力が必要不可欠とされるそれらの芸術と比べて、詩はどうであろうか? 原則的に、言葉を用いる人ならば、紙と鉛筆さえあれば、あるいはパソコンさえあれば、誰にでも詩は、書きうる。そしてその評価が不特定多数の人々の美的主観に依拠している以上、どれが本当に優れた詩であり、誰が本当に優れた詩人であるかは実は誰にもわからない。(まあ、そのようなものをわざわざ判別する必要はどこにもなくて、個々人が自分の好きな詩を、それぞれ勝手に選んで読めば良いだけの話ではあるが。)

 この、言語というあまりにもありふれた媒体を表現手段とする詩というジャンルにおいて、昔の人は色々とルールを考えた。例えば規定の字数を設け、例えば踏韻を義務とし、また平仄を必須のものとし、あるいは季語を不可欠のものとした。そのようなルールを設けなければ、詩と日常言語の境界は曖昧で不透明なものに堕さざるを得ないと判断したからであろう。そしてそのようなルールは、時代によっては多くの人々に受け入れられ、その制約の中で、数々の優れた、美的な言語表現が生み出されて現在まで伝わっている。そのようなルールを無くしてしまおうというムーブメントも、この100年か200年かの間に出てきたけれども、そのような新しい試みもまた、古人の知恵が作り出したルールの上に積み上げられた蓄積があって成り立っている。

 ※

 私とて以上のような自覚はある。だが私は極めて怠惰で疲れやすい人間なので、現在になって積極的に、詩作のルールを体系的に学ぼうという気がない。自己流で、書きたいことを書きたいように言語化して、それを詩と自称しているだけである。それを集めたのが本書であり、私の「第一詩集」に当たる。
 その配列においては、ジャンルというものを全く意識しなかった。私にとっては、散文詩も俳句も短歌も、自由律俳句もキャッチコピーも、つまるところ等しく皆同じ「詩」ではないかという意識があったためである。ただいわゆる「ポエム」のようないたずらに感傷的な内容のものは本書中には存在しない。私個人の美意識に反するためである。
 以下、本書においては、06年10月半ばより、07年10月初旬までのほぼ1年間に私が作成した詩文を、単に制作日時順に並べている。ただ、この間の私の、個人的な精神状態によって、大きく3部構成を取っているが、これは読者には全く関係のないことなので、特に気にされる必要はない。興味をもった部分から好きなように読んでいただければ良い。