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自分史

It's a Wonderful World

著者 / 丁聖斌
サイズ:A6判(文庫判)
製本:ソフトカバー
ページ数:192ページ(オールカラー)
発行日:2009年12月24日
価格:700円(+消費税)
ISBN:978-4-903935-28-7
ご好評につき、完売いたしました。
内容紹介(一部)

その子はまるで来るべくして来たかのよう、その日、自然と我が家へとやって来た。
 その子、いや、息子の名は、ハルヒト。そう、今日から私の息子だ。

小さくお辞儀をし、リュックサックを玄関に降ろすと、ハルヒトは私にもう一度頭を下げた。私は、ようこそ、自分の家だと思ってね、と精一杯の優しさでもって声をかけてから、ハルヒトが行儀よく靴を脱ぎ、整えているのを見守った。それを待たずに、夫は一人黙りリビングルームへと戻っていった。私は普段滅多に目にしない夫のそんな行動に、内心、動揺を隠せないでいたが、新しく一から作るこの家庭の主役に心のうちの弱い面を絶対に見せたくないと思った。もう他の男もいない、旦那と息子と、今度こそ3人で良い家庭を作りたかった。

ハルヒトは今年で小学4年生の10歳になる、頭の良い大人びた男の子だった。学校での成績もよく、クラスでは随分と慕われているという話も聞く。家に来てから一月も経ってはいなかったが、私はこの子がうちに来てくれてよかったと、そう思えた。そして、それまで彷徨っていた空白の時間の分の愛情と、不倫に手を染め家庭をないがしろにした償いを、私は全てハルヒトに注いだ。私は変っていっていた。もちろん、その代償もあった。ハルヒトが来たその日から、夫は飲めないお酒を飲みはじめ、とっくに辞めたはずだったタバコも、また吸い出した。

「これで、本当に正しかったのか・・・?」ある晩、テレビを見ていた夫が突然そう語りかけてきた。
 「わからない。けど今私は幸せよ。少なくとも前よりは」
 テレビから何やらニュースのようなものが流れていて、沈黙を続ける夫の代わりに、 コメンテーターが喋っていた。
 「カオリは・・・」表情を変え、今にも消えそうな夫の一言に、私は思わず目を背け、視線を移した。私はしばらくの間何も言えないまま、テレビ画面を見つめていた。《前の子のことについては話さない》この数ヶ月間でいつの間にか出来上がっていた二人の間の暗黙のルールだった。
 「―こういった願望は誰にでもあるでしょう。例えばあなたが高校3年生で受験生の時、自分があと1年若かったらなと。そう思ったことはありませんか?」テレビから流れ出た無礼な音が、張りつめたリビングの空気に割って入ってきた。実にうっとうしかった。気付けば、夫もただ淡々とテレビ画面を眺めていた。
 「そう、それが『改正子供の権利法案』です。そうするしか抑えられないんですよ。今の増加するばかりの子供の自殺率をね。2004年からわずか10年間で、18歳以下の子の自殺率は20倍ですよ?これは自動車事故の90倍の人が死んでいる計算なんです。」
 テレビは何やら小難しい法律事を話していた。しかしそれが子供に関ることである以上、今の私には無条件に耳を傾けざるを得なかった。夫も、おそらくは同じだっただろう。
 「世論の反対は分かりますがね、そうやってわが子に死なれた親たちはね、悪魔と手を結ぶんですよ。」
 悪魔と手を結ぶ、という表現に司会の人が慌ててフォローを入れた後、番組はすぐにCMに入った。世界が我が家へと戻る。私は再び家のどろっとした空気を肌で感じながらも、実はディスプレイの向こうの無礼なコメンテーターがこの空気を柔らかくしてくれていたのだということに気付いた。感謝とも違う、妙な気持ちだった。夫は目をつむり、ソファに座っている。
 CMが明け、番組は引き続き執行された新法の説明をしだした。子供にも親を選ぶ権利はあるはずだとか、10歳から段階的に選択権を与えるなど、具体的な内容を次から次へと語った。
 話はこうだ。10歳から18歳までの男女に相談所なる駆け込み寺を作り、自発的な学校や親の下を離れる意思を権利として認めさせ、急増している親からの虐待や自殺率を抑制する。事態が悪質の場合、元親への通知なしに行使する事も可。そして家を離れた子供は相談所と一緒に次の家を決め、そこへ養子として、望めば学年や、一時的にだが年齢をも変えて、新しい環境での生活ができる、というものだった。預かり先の家も、子供を亡くした家であることが多いらしい。
 「こんな権利は過剰の他のなんでもない」法学部出の夫が、テレビに向かってツバを吐くように吐き捨てた。続いて、お前はどう思う?とハルヒトがまだお風呂から上がっていないのを確認し、夫は私に意見を求めてきた。
 私はというと、その制度にどこか腑に落ちない部分を感じながらも、夫の言葉をよそに「悪くはない」と考えていた。それは自分の不始末に対する自責の念から来ていたのかもしれない。間接的にでも他人や制度によって罰せられたかった、そう考えていた自分がどこかにいた気がした。
 そんなことを考えながらも、私は頭の中で今一度内容を整理した。どこが腑に落ちないのだろう?最悪の場合は通知なしでも・・・そう、そこだった。そして次の瞬間、私は凍りついた。
 私は思い出してしまったのだ。前の子、カオリが突然行方不明になったのが丁度彼女の10歳の誕生日だったということを。不倫相手の男に、カオリが会う度に怯えていたことを。
 夫に答えるまでの数秒間が、その瞬間、数時間に変った。

お風呂から上がったハルヒトは、手に飲み物を持ったまま、気付けば横に立っていた。テレビの内容を、知らない、というような顔で。そして、彼は嘘をつくのが得意ではなかった。
 私は溢れそうな涙を必死に堪え、心の中で何度も「ごめんなさい」と叫んだ。「それはどっちに?」そう問う二人の子供の顔が浮かんでは消え、私の顔を下から覗こうとする錯覚が見えた。「それはどっちに?」「・・・・・・」私には答えられない。

ハルヒトはそんな私の姿をただぼんやりと見つめていた。私はすがるような気持ちで目を向けたが、彼の目の奥は冷たく、重たかった。
 ハルヒトは全て悟っていたのだ。
 その子は、そういう子だった。