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自分史

回想録 私の旅路

著者 / 村田邦治
サイズ:四六判
製本:ハードカバー
ページ数:416ページ(モノクロ)
発行日:2009年9月9日
内容紹介(一部)
六 小牧時代

パイロット合宿自室にて
(小牧101飛行隊時代)

ウイングマーク取得を期して、同期の卒業生は二手に分かれることになった。M君と私の二人だけが愛知県の小牧へ行くことになった。防大五期でも始めてのケースだった。当時、第一戦の戦闘機には二種類があった。昼間戦闘機のF─86Fが七個飛行隊、全天候戦闘機F─86Dが三個飛行隊が全国に展開していた。F─86Dは小牧に二個飛行隊、千歳に一飛行隊あり、小牧が教育を兼ねていた。

二月初旬、二人は胸のウイングマークも鮮やかに小牧基地にある第三航空団の門をくぐった。基地の全貌を見渡せる高台に二階建て、個室、シャワー付のパイロット宿舎があった。防大の一期生を頭に独身のパイロットが居住していた。その宿舎の前に一台の小型車が駐車していた。“おお、自家用車じゃないか。”防大一期生のM先輩の所有で、ボンネットの先端にはパイロット学生で米留した時の音速突破記念賞が取り付けてあった。当時は、巷でも軽のホンダ、スズキ、キャロルの三種を時々見かけるくらいで、私有車にはめったにお目にかかれなかった。基地内でも唯一の自家用車と吹聴され有名だった。さすがは、天下のジェットパイロット、若者の羨望の的だった。

一○一飛行隊

航空自衛隊第一戦機
(F-4E 丁戦闘機 硫黄島上空)

実任務のアラート(緊急発進待機)と学生の教育を兼ねた第一戦の飛行隊だった。学生は三名の先輩と我々二名の二コースだった。それぞれコマンダー以下三名の教官で編成されていた。飛行隊のパイロットは総勢約三十名、飛行機の神様みたいな猛者揃いだった。非常呼集がかかると、全機一斉にエンジンを始動し、滑走路の端で武装点検後、飛行隊前で五分待機の態勢に入った。基地の三個飛行隊が挙げるエンジン音はオペレーションルームのガラスが割れるかと思われるほどの大音響だった。また年一回の航空総隊の射撃大会では飛行隊ごとに覇を競うなど年中活気に満ちていた。

飛行隊の一日は、朝の気象ブリーフィングから始まった。学生が一人ずつ交代で、基地の気象幹部からブリーフィングを受け、天気図の描かれた大きなボードを持ち帰り、飛行隊の全パイロットを前に説明した。矢のような質問が飛び鍛えられた。空に命をかけるだけあって、どのパイロットも気象に敏感であり詳しかった。また雲高や視程の制限が飛行中止に直結するため、微妙な数字が大きな波紋を呼ぶこともしばしばだった。

訓練飛行の性格上、視程二マイル以上の特別有視界飛行方式が多用された。そのためには空中から、地上の煙突一本、河口の一点を視認しただけでも、即座に自分の飛行位置を把握することが要求された。例えば濃尾平野の澄んだ川面が見えたら長良川だ。河口では木曽、長良、揖斐の三河川が合流している。その中央の長良川を遡れば足下に岐阜の飛行場が現れ、その地点で進路百八十度で南進すれば、小牧飛行場滑走路の真上に出る。前方には陸自十師団の煙突が見える。また夜間飛行では野球のナイターのある日、名古屋球場の灯が夜十時までは航法の目印となった。このような調子で地上の一点から自位を判別できることも一人前の戦闘機乗りとして要求された。